はる 最後の日まで
ブログを通じて、はるのことを知って見守って頂いたかた、応援して頂いたかた、
お返事は出来ていないのですがコメントを下さった方、
はるのことを小さな頃から知って頂いているかた、本当に感謝しています。
悲しいとか辛いとか寂しいとかでなく、言葉で表現できない、きっと言葉にない気持ちと
ゆっくりと向き合って、ゆっくりと整えながら日々を過ごしています。
できれば、はる、一緒に貴方と行きたかったよ!と、弱気になる自分もどこかに。
それでも、最後までしっかり生きた、はるの姿は、とてつもなく美しく、
私もしっかり最後まで生きて、はるとさくらに会いに行こうと思います。
今、心がこんなに深く壊れそうで痛みを感じているのは、それだけ愛した、愛されたという、
繋がりがあるからだよと、友達の言葉が心に染みます。
『奇跡の犬はる』 と題した8月15日のブログから、はるの最後の日まで、
彼女が自分の犬生を、しっかりと生きたことを書きたいと思います。
彼女は、自分の犬生を最初から最後まで、きらきらと美しく、
誇らしげに、きちんと楽しく生きました。
そして、その次のブログに、旅立った、はるの写真を少し載せたいと思っています。
旅立った子を見るのが、しんどくなる人は、次のブログは、見ないで下さいね。
7月2日、紹介された大きな病院へと行き、7月16日に骨髄検査をし、
検査10日後ぐらいに結果を知り、最初に服用していた免疫抑制剤が効果なく、
別の免疫抑制剤に変えながらの世間はお盆休みの中、
はると戦っていました。
病院での待合では、私の足と足の間で少しでもリラックスしようとしていました。

8月12日 おもちゃダイスキ。 本当にこの子は病気なのか?と何度も何度も疑いました。
家の近くの病院の先生も、紹介してもらった大きな病院の先生も、
どうしてこの検査数値で、しんどくてぐったりしていてもいいような、
こうやって立って歩いて普通にしているのか、本当に不思議ですと、
何度も何度も言われました。


8月15日 奇跡のはるという題でブログを書いた日です。
そのブログにも、はるは普通なんですと書きました。
いつものはるが、私の目の前に、いつものようにいました。

8月16日 お腹はゆるゆるだったけど、食欲はあり完食でした。


8月17日 ベランダを眺めるのがダイスキです。
この日も、私がベランダで洗濯物を干していると覗きに来て、寝転がっていました。

8月18日 午前中、突然に痙攣が起こりました。 体が、足がよろけ、立ってられなくなり、
倒れ痙攣が20秒ほど。 元気なはるとは、ほど遠い姿でした。
病気は数値だけでなく、私の中で現実に変わった瞬間でした。
ただ痙攣の後に、スグにお座りして、しばらくして立って歩いていました。
その後は、どうしていいのかわからずに、すぐに病院へ行きました。
病院でも痙攣を起こしたことが嘘だったように、立って、歩いて、いつものような、はる。
病院から帰って来て映した写真です。


この日、夜にも、一緒にはると映しました。
そして、何度も何度も、
『私がこの世界で生きている時間を、はるにあげるから、生きて!』 と、
何度も何度も、はるに言いました。


8月19日 夕方近くに買い物に行き帰ってくると、いつものように玄関の扉を開けると、
はるが迎えてくれました。 我が家のいつもの光景です。
だけど、この後、しんどくなり少し痙攣が起こりました。
自分の命を削ってまで、はるちゃん、玄関にお迎え、いいんだよ。
もう、本当に、自分のことだけ考えて。

さくらがいる頃は、何かあると、さくらの後ろに隠れて、
病院の玄関で遠吠えするほど病院嫌いだったのに静かに頑張って、
きっと体がしんどいのに、いつものようにと頑張って、
こんなに、はるが、がんばりやさんな子になっていたんだと、つくづく感じました。

8月22日。 体重は、変わらずに8キロでした。
22日頃から食欲が落ち、点滴もしてもらい、
23日からは、スポイドで、ごはんをあげていました。
口のまわりを触られることが嫌だったのに、スポイドでごはんをあげることも、
食べた後に口の周りを拭くことも、すべて受け入れてくれました。
すべてが愛おしく感じました。
はるが旅立つ前日の夕方頃です。 スポイドでごはんをあげようとすると、
この日は食べたくなかったのか、移動して私から逃げていました。
逃げる元気! 移動する元気!
はるの体のことを心配しつつ、少し嬉しくともなりました。

はるは、ごはんを食べた後、しばらく私の布団の上で寝転んでいたので、
私も、横になって、いい時間を過ごしました。
そして夕食の支度をするときに、息子を呼んで、はると過ごしていました。
こんな、なんともないことが、ずっと続きますように。

はるが旅立つ日までのことを、ずっと殴り書きのように、
ずっとメモっていました。
この頃、私の中で、はるの病気のことを受け入れたくない気持ちと、
受け入れてあげなくちゃいけないこと、
現実で起こっていることと、どこか覚悟と、それでも希望と、なくしたくないもの、
命の時間、焦り、波のように私の心に渦巻いていました。
それでも希望だけは捨てていませんでした。
家の近くの病院で薬を変えてもらっても効果がみられず、病院の先生も手立てが
ないように伝えられていました。
なので少しでも体に優しい漢方を扱っている病院へ行こうと思っていました。
思っていたというより、病院も決め、その病院の先生に電話するぞ!という日に、
はるは、旅立ちました。

とっても、優しい顔で旅立ちました。
最後の最後まで、旅立ってからも、心の中がふんわりとアタタカクなるような、
優しくなるような、はるがいなくなることで心が凍り付かないようにオレンジ色の小さな
温かい光のようなものを残していってくれました。
彼女の温かさも、生きる強さも、笑う楽しさも、たのもしさも、遊びこころも、きらきらした瞳も、
言葉にできないものはまだまだたくさんあるのですが、
生涯、私は、彼女のことを忘れる日々はないでしょう。
私の人生の日々に花を咲かせてくれていたこと、寄り添っていてくれていたこと、
元気を、楽しいを、笑うことを、あったかいものを、たくさん与えてもらいました。
何よりも、縁あって家族になってくれて、私の隣に来てくれて、
今は、ありがとうの感謝しかありません。










つづきます。
お返事は出来ていないのですがコメントを下さった方、
はるのことを小さな頃から知って頂いているかた、本当に感謝しています。
悲しいとか辛いとか寂しいとかでなく、言葉で表現できない、きっと言葉にない気持ちと
ゆっくりと向き合って、ゆっくりと整えながら日々を過ごしています。
できれば、はる、一緒に貴方と行きたかったよ!と、弱気になる自分もどこかに。
それでも、最後までしっかり生きた、はるの姿は、とてつもなく美しく、
私もしっかり最後まで生きて、はるとさくらに会いに行こうと思います。
今、心がこんなに深く壊れそうで痛みを感じているのは、それだけ愛した、愛されたという、
繋がりがあるからだよと、友達の言葉が心に染みます。
『奇跡の犬はる』 と題した8月15日のブログから、はるの最後の日まで、
彼女が自分の犬生を、しっかりと生きたことを書きたいと思います。
彼女は、自分の犬生を最初から最後まで、きらきらと美しく、
誇らしげに、きちんと楽しく生きました。
そして、その次のブログに、旅立った、はるの写真を少し載せたいと思っています。
旅立った子を見るのが、しんどくなる人は、次のブログは、見ないで下さいね。
7月2日、紹介された大きな病院へと行き、7月16日に骨髄検査をし、
検査10日後ぐらいに結果を知り、最初に服用していた免疫抑制剤が効果なく、
別の免疫抑制剤に変えながらの世間はお盆休みの中、
はると戦っていました。
病院での待合では、私の足と足の間で少しでもリラックスしようとしていました。

8月12日 おもちゃダイスキ。 本当にこの子は病気なのか?と何度も何度も疑いました。
家の近くの病院の先生も、紹介してもらった大きな病院の先生も、
どうしてこの検査数値で、しんどくてぐったりしていてもいいような、
こうやって立って歩いて普通にしているのか、本当に不思議ですと、
何度も何度も言われました。


8月15日 奇跡のはるという題でブログを書いた日です。
そのブログにも、はるは普通なんですと書きました。
いつものはるが、私の目の前に、いつものようにいました。

8月16日 お腹はゆるゆるだったけど、食欲はあり完食でした。


8月17日 ベランダを眺めるのがダイスキです。
この日も、私がベランダで洗濯物を干していると覗きに来て、寝転がっていました。

8月18日 午前中、突然に痙攣が起こりました。 体が、足がよろけ、立ってられなくなり、
倒れ痙攣が20秒ほど。 元気なはるとは、ほど遠い姿でした。
病気は数値だけでなく、私の中で現実に変わった瞬間でした。
ただ痙攣の後に、スグにお座りして、しばらくして立って歩いていました。
その後は、どうしていいのかわからずに、すぐに病院へ行きました。
病院でも痙攣を起こしたことが嘘だったように、立って、歩いて、いつものような、はる。
病院から帰って来て映した写真です。


この日、夜にも、一緒にはると映しました。
そして、何度も何度も、
『私がこの世界で生きている時間を、はるにあげるから、生きて!』 と、
何度も何度も、はるに言いました。


8月19日 夕方近くに買い物に行き帰ってくると、いつものように玄関の扉を開けると、
はるが迎えてくれました。 我が家のいつもの光景です。
だけど、この後、しんどくなり少し痙攣が起こりました。
自分の命を削ってまで、はるちゃん、玄関にお迎え、いいんだよ。
もう、本当に、自分のことだけ考えて。

さくらがいる頃は、何かあると、さくらの後ろに隠れて、
病院の玄関で遠吠えするほど病院嫌いだったのに静かに頑張って、
きっと体がしんどいのに、いつものようにと頑張って、
こんなに、はるが、がんばりやさんな子になっていたんだと、つくづく感じました。

8月22日。 体重は、変わらずに8キロでした。
22日頃から食欲が落ち、点滴もしてもらい、
23日からは、スポイドで、ごはんをあげていました。
口のまわりを触られることが嫌だったのに、スポイドでごはんをあげることも、
食べた後に口の周りを拭くことも、すべて受け入れてくれました。
すべてが愛おしく感じました。
はるが旅立つ前日の夕方頃です。 スポイドでごはんをあげようとすると、
この日は食べたくなかったのか、移動して私から逃げていました。
逃げる元気! 移動する元気!
はるの体のことを心配しつつ、少し嬉しくともなりました。

はるは、ごはんを食べた後、しばらく私の布団の上で寝転んでいたので、
私も、横になって、いい時間を過ごしました。
そして夕食の支度をするときに、息子を呼んで、はると過ごしていました。
こんな、なんともないことが、ずっと続きますように。

はるが旅立つ日までのことを、ずっと殴り書きのように、
ずっとメモっていました。
この頃、私の中で、はるの病気のことを受け入れたくない気持ちと、
受け入れてあげなくちゃいけないこと、
現実で起こっていることと、どこか覚悟と、それでも希望と、なくしたくないもの、
命の時間、焦り、波のように私の心に渦巻いていました。
それでも希望だけは捨てていませんでした。
家の近くの病院で薬を変えてもらっても効果がみられず、病院の先生も手立てが
ないように伝えられていました。
なので少しでも体に優しい漢方を扱っている病院へ行こうと思っていました。
思っていたというより、病院も決め、その病院の先生に電話するぞ!という日に、
はるは、旅立ちました。

とっても、優しい顔で旅立ちました。
最後の最後まで、旅立ってからも、心の中がふんわりとアタタカクなるような、
優しくなるような、はるがいなくなることで心が凍り付かないようにオレンジ色の小さな
温かい光のようなものを残していってくれました。
彼女の温かさも、生きる強さも、笑う楽しさも、たのもしさも、遊びこころも、きらきらした瞳も、
言葉にできないものはまだまだたくさんあるのですが、
生涯、私は、彼女のことを忘れる日々はないでしょう。
私の人生の日々に花を咲かせてくれていたこと、寄り添っていてくれていたこと、
元気を、楽しいを、笑うことを、あったかいものを、たくさん与えてもらいました。
何よりも、縁あって家族になってくれて、私の隣に来てくれて、
今は、ありがとうの感謝しかありません。










つづきます。
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コメント
No title
きっと痛いとかなくて、何故辛いのかわからなくて、心配そうな春桜さんの顔見たくなくて、ずっとずっと頑張っていたのでしょうね。
原因がわからない病気って辛いと思います。今の何が正解かわからず、自分たちがして上げている事が良い事なのか悪い事なのかわからず不安で不安でしょうがなかったと思います。きっとそんな心を読んだはるちゃんが、私大丈夫って頑張ってたのでしょうね。
まさに奇跡の犬でしたね。
はるちゃん、今頃あちらでさくらちゃんと楽しくお話してそうです。そして頑張ったはるちゃんをさくらちゃんがいっぱいいっぱい褒めてあげると思います。
2023-09-18 20:44 yushipapa URL 編集
No title
はるちゃん我慢強かったのですね。
春桜さんに心配かけないように、元気胃振る舞っていたのかな。
小さいはるちゃんが来て、さくらちゃんが少し戸惑いながら、だんだんとお母さんのような存在になっていって、楽しい時間をすごせましたよね。
本当に残念でもう一度会いたかったです。
さくらちゃんがきっと虹の橋ではるちゃんを褒めてあげてると思います。
2023-09-18 21:31 *はなママ* URL 編集