さくら 旅立った日のこと
さくらは旅立つ10日前から、ごはんを食べる量が徐々に減り、鳴き声も小さくなっていき、
お別れが近づいていることをどこか覚悟はしつつ、それでも希望は捨てず、
だけど、別れは突然に訪れました。
朝、目が覚めて、ごはんを食べられないので昨日の夜に点滴をしたので、
とりあえずスポイドで、口の中が渇いていないかと思い少量の水をあげて。
そしてトイレシートを、さくらのお尻の下に3枚ほど敷いて、紙パンツをはずして、
お尻や太もものあたりをシャンプーして、ペットボトルに温かいお湯を入れたものを
さくらの体にかけて洗って、トイレシートで水分を吸収させて、
この日もさくらの体を綺麗にしてあげました。
タオルでふき取ってあげた直後に、
さくらは一声だけ、かすれた小さな声をだしました。
2日前に私は、さくらに、
「あんなに小さかった子が、いつのまにか私よりも歳をとってしまって。
どうしてなんだろうね。」と、こんなことをさくらに話したことを覚えています。
この日も、
「さくらちゃん、声、小さくなったねぇ」 と、言ったことを覚えています。
この日も暖かく、ベランダは柔らかい太陽と、心地いい風がふいていました。
前日と同じように、ベランダにシートを敷き、さくらを抱っこして移動。
ベランダで過ごしてもらうことに。
ベランダにさくらに待っていてもらい、私は朝ごはんを食べに行きました。ほんの15分ほど。
今日は、動物病院に電話で聞きたいことがあったので電話することに。
電話をする前に、さくらに声をかけようと思ってベランダに。
ベランダで寝転がっているさくらのお腹、息をしていないような。
風が吹くと、さくらのお腹が動いているような。 わからない。
すぐに、この日いてた息子に、
「さくら、息しているのか、していないのか、わからない。」 と。
すぐに息子がベランダに来てくれたけど、さくらの体はあたたかく。
あたたかい体のさくら。かすかに息をしているかもしれない。
息子とふたり、わからなくなり、
今、冷静に考えると、私も息子も、なんとなくわかっていたものの、
その時は、信じたくない気持ちが強かったように思います。
すぐに動物病院の先生に電話で伝え、先生も見ていないから、わからない と。
近くなので、連れて来てくれたら判断できます と。
この日、私は、病院の先生には、高濃度の栄養ドリンクを飲ませていたらいいの?と、
未来ある、生きる為の電話をしたかったはずが、
生きているのか死んじゃったのかの電話を、先生にすることになるなんて、思ってもいなくて。
急いで部屋の中を探した取っ手のある入れ物に、さくらに入ってもらい、
息子と私は、両端の取っ手を片方ずつ持ち、さくらを真ん中に病院へ行きました。
病院でさくらを診てもらい、先生から、なくなっていることを伝えられました。
病院への往復、さくらを真ん中に息子と私、いつもの散歩道も少しあり、
さくらを連れての最後のお散歩となりました。
9月21日 午前9時27分頃に旅立ちました。
16歳と5日間。
さくらと出会って一緒に暮らした日は、約5796日。
さくらとはるが一緒に暮らした日は、 約2937日。
さくらが旅立ち、目の前からいなくなったら、私はきっと泣きじゃくり、
生活が成りたたなくなり、ペットロスになって・・と思っていました。
それが・・・・。
さくらに捧げられるだけの愛情は全部、最後まで伝えられました。
これからもずっと一緒な感じがすごくしていて、そばにいてくれる感じがして、
さくらからは今も勇気をもらっていて頑張ることのできる私がいるんです。
彼女は、本当に私のことを支えてくれました。 強くしてくれました。
さくら、貴方と出会えてよかったよ。 感謝しか今はありません。

素敵な時間を、いっぱいもらいました。

今も変わりなくダイスキだよ。

さくらと出会った時の写真です。
小学3年生の息子が、最初に抱きました。
口の周りが黒くて、カールのおじさんと言っていました。

この頃は、悪桜と呼んでいました。 時には息子を泣かせることも。

そして、さくらの介護が始まった頃。 息子の袖口をパクリ。
なんだか楽しんでいるような、さくら。
息子との関係は、ずっとさくらの方がお姉さん。さくらが上位でした(笑)

私は、ほぼカメラを持って映す側が多く、一緒に映した写真が少なくて。
いつころの写真だろうか・・。
いつも、こうやって、お話ししていました。

そして今年の春。 大きな木の下で。

今回はなかったのですが、次のブログには、普通に眠っているような、
息をしていないさくらの写真があります。ちょっと見たくないなぁっていう方は、
見ないで下さいね。
私達人間とさくらの別れと平行に、もうひとつの大事な別れがありました。
さくらとはるの別れです。
そのことを次のブログに書きたいと思います。
お別れが近づいていることをどこか覚悟はしつつ、それでも希望は捨てず、
だけど、別れは突然に訪れました。
朝、目が覚めて、ごはんを食べられないので昨日の夜に点滴をしたので、
とりあえずスポイドで、口の中が渇いていないかと思い少量の水をあげて。
そしてトイレシートを、さくらのお尻の下に3枚ほど敷いて、紙パンツをはずして、
お尻や太もものあたりをシャンプーして、ペットボトルに温かいお湯を入れたものを
さくらの体にかけて洗って、トイレシートで水分を吸収させて、
この日もさくらの体を綺麗にしてあげました。
タオルでふき取ってあげた直後に、
さくらは一声だけ、かすれた小さな声をだしました。
2日前に私は、さくらに、
「あんなに小さかった子が、いつのまにか私よりも歳をとってしまって。
どうしてなんだろうね。」と、こんなことをさくらに話したことを覚えています。
この日も、
「さくらちゃん、声、小さくなったねぇ」 と、言ったことを覚えています。
この日も暖かく、ベランダは柔らかい太陽と、心地いい風がふいていました。
前日と同じように、ベランダにシートを敷き、さくらを抱っこして移動。
ベランダで過ごしてもらうことに。
ベランダにさくらに待っていてもらい、私は朝ごはんを食べに行きました。ほんの15分ほど。
今日は、動物病院に電話で聞きたいことがあったので電話することに。
電話をする前に、さくらに声をかけようと思ってベランダに。
ベランダで寝転がっているさくらのお腹、息をしていないような。
風が吹くと、さくらのお腹が動いているような。 わからない。
すぐに、この日いてた息子に、
「さくら、息しているのか、していないのか、わからない。」 と。
すぐに息子がベランダに来てくれたけど、さくらの体はあたたかく。
あたたかい体のさくら。かすかに息をしているかもしれない。
息子とふたり、わからなくなり、
今、冷静に考えると、私も息子も、なんとなくわかっていたものの、
その時は、信じたくない気持ちが強かったように思います。
すぐに動物病院の先生に電話で伝え、先生も見ていないから、わからない と。
近くなので、連れて来てくれたら判断できます と。
この日、私は、病院の先生には、高濃度の栄養ドリンクを飲ませていたらいいの?と、
未来ある、生きる為の電話をしたかったはずが、
生きているのか死んじゃったのかの電話を、先生にすることになるなんて、思ってもいなくて。
急いで部屋の中を探した取っ手のある入れ物に、さくらに入ってもらい、
息子と私は、両端の取っ手を片方ずつ持ち、さくらを真ん中に病院へ行きました。
病院でさくらを診てもらい、先生から、なくなっていることを伝えられました。
病院への往復、さくらを真ん中に息子と私、いつもの散歩道も少しあり、
さくらを連れての最後のお散歩となりました。
9月21日 午前9時27分頃に旅立ちました。
16歳と5日間。
さくらと出会って一緒に暮らした日は、約5796日。
さくらとはるが一緒に暮らした日は、 約2937日。
さくらが旅立ち、目の前からいなくなったら、私はきっと泣きじゃくり、
生活が成りたたなくなり、ペットロスになって・・と思っていました。
それが・・・・。
さくらに捧げられるだけの愛情は全部、最後まで伝えられました。
これからもずっと一緒な感じがすごくしていて、そばにいてくれる感じがして、
さくらからは今も勇気をもらっていて頑張ることのできる私がいるんです。
彼女は、本当に私のことを支えてくれました。 強くしてくれました。
さくら、貴方と出会えてよかったよ。 感謝しか今はありません。

素敵な時間を、いっぱいもらいました。

今も変わりなくダイスキだよ。

さくらと出会った時の写真です。
小学3年生の息子が、最初に抱きました。
口の周りが黒くて、カールのおじさんと言っていました。

この頃は、悪桜と呼んでいました。 時には息子を泣かせることも。

そして、さくらの介護が始まった頃。 息子の袖口をパクリ。
なんだか楽しんでいるような、さくら。
息子との関係は、ずっとさくらの方がお姉さん。さくらが上位でした(笑)

私は、ほぼカメラを持って映す側が多く、一緒に映した写真が少なくて。
いつころの写真だろうか・・。
いつも、こうやって、お話ししていました。

そして今年の春。 大きな木の下で。

今回はなかったのですが、次のブログには、普通に眠っているような、
息をしていないさくらの写真があります。ちょっと見たくないなぁっていう方は、
見ないで下さいね。
私達人間とさくらの別れと平行に、もうひとつの大事な別れがありました。
さくらとはるの別れです。
そのことを次のブログに書きたいと思います。
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コメント
No title
さくらちゃんは最後にお母さんを見て旅立ったと思います。
16歳を迎えられたのは素晴らしいと思います。
さくらちゃんも分かっていたのかな?誕生日は迎えようと。
私の義母は誕生日を迎えて10日後に他界しました。意識は無かったかもしれないけど、なんとなく感じ取ってくれたのかなって。
2021-10-30 21:15 *はなママ* URL 編集
No title
16歳まで頑張ってくれたさくらちゃんに感謝です。
私の母もこの8月末に亡くなりました。
やはり別れは覚悟していても辛いものです。
でもそれを支えてくれる家族がいる事に幸せを感じます。
春桜さんにははるちゃんもいてくれてよかったなって思います。
お空の上から、さくらちゃんが見守ってくれてますね。
2021-10-30 21:33 yushipapa URL 編集
*はなママ* さんへ
さくらロス。あ~さくらがいないんだぁ~って心がへたる瞬間ってあっても、
「私はそういうことを求めてないから。やらないといけないことを、
しっかりと!」となぜだか、さくらが言っているようで。
心強い感じです。
誕生日を迎えてから。
介護やそばで見守っている側にとっては、誕生日を迎えられたことって、
喜びであり励みになりますよね。
さくらの誕生日の日は、もう食欲が少しずつなくなっている時だったのですが、
おめでとう♪って声をかけて、なでなでしました。
誕生日を迎えることが出来たという、最後のさくらからのプレゼントのようで。
2021-10-31 11:34 春桜 URL 編集
yushipapaさんへ
さくらが旅立った瞬間、本当、息子がいてくれてよかったです。
冷静にいることができました。
はるもです。しっかり、はるも見ていてあげなくちゃと。
身近な人が亡くなるのは、言葉を失ってしまうほど寂しく感じます。
だけど亡くなったから終わりでなく、身近な人ほど、
心の中に入り、住み続けてくれて、
より身近になる感じがします。
2021-10-31 11:42 春桜 URL 編集