さくら*はる お別れのとき いつかまた
さくらが旅立った日。 もうひとつ大きな別れがありました。
はるにとっては、いちばん頼りで、いちばんダイスキで、
だれよりも一緒に過ごした時間が長く、本気で遊び、本気で喧嘩もして、
さくらにとっても、はるにとっても、心を出し合えた仲だったように
思います。最後は、さくらとうまくいかない日があったのですが、それでも、
さくらの隣がはるで、はるの隣がさくらで、私はよかったのだと思っています。
そう思ったのは、さくらが介護生活になり、生活状況も違ってきて、段ボールで仕切りをして、
ほとんど2柴は別々な生活をしている中での、この写真が物語っているように思います。
2柴は、求めあっていたんだって、通じあっていたんだって。 私は感じました。
今年の4月、5月頃の写真です。



さくらが旅立ったことを、病院で先生に確認してもらい、家に戻ってきた時も、
はるは、何度も何度も、さくらを確かめていました。
覚悟をしていたものの何の用意もしていなかったので、
病院へさくらを連れて行った時の中のまま、さくらの体の下に保冷剤をたくさん入れ、
息子に買ってきてもらった、お花を。

さくらは、動かないね。

目を開けては、くれないよね。

この時期は私のベッドの下で寝転んでいることが多かったのですが、
ずっとさくらのそばにいました。

友達のちょこまろさんもお花とさくらの好きなおやつを持って、会いに来てくれました。
はるは、確認中です。

さくらに、いつものドッグフードとお水。

さくらのドッグフードもお水は、はるが全部食べました。

夜中、眠れずに目が覚めたら、
はるは、さくらのそばで寝ていました。

朝になり、今日はお寺へ。 はるは、この場所で、さくらとお別れです。

大丈夫かな、はる。 言葉で説明できないことがもどかしく、
はる自身が、状況を見て感じるしかできなくて。

そして、新しい段ボールに、さくらに移動してもらいました。
はるは、ずっと、さくらのそばを離れなくて。 何度も確認して。
何度も、お話して。

もうそろそろ家を出発する時間。
はるちゃん、これで、さくらと最後だよ。
これが一緒に映した、さくらとはるの写真となりました。
いつかまた、虹の橋の向こうで再開するんだよ。 さく*はる

さくらが、この家から姿が見えなくなった次の日の朝。
はるは、さくらが眠っていたそばで寝ていました。

さくらが旅立って3日後。 柴犬はなのノンビリな日々のはなママさんからお花が届きました。
優しい色のお花が、心を癒してくれました。
そして息子の意見を尊重し、さくらのお骨は全部、お寺におさめました。
ただ、さくらが家を離れる少し前に、さくらに話し、さくらの毛をカットしました。
さくらの一部で、今も身近にさくらを感じられます。

生まれた時から人間の中で育ち、犬友もあまりいないで育った、さくら。
さくらが8歳の時に、はるが我が家の家族になりました。
子育ての経験もなく、きっとこんな小さな犬と接したことがなかった、さくら。
今考えると当時は、とっても困っていたと思います。
それでも今、振り返ってみると、さくらなりの優しく、心広く、時には厳しく、自由に、
なつっこいはるの性格を知った子育てをしてくれていたんだなって思います。
そして親子から、いつしか友達に、姉妹に、家族に。
とっても感謝します。 最後までさくらは、自分の位置をゆずらずでした。
しっかりと貴方のバトンは、はるに引き継がれています。
そして、そのバトンを持っている、はるのことを、私は今までと変わらずに、
私が貴方へ注いだように、貴方がはるに注いだうように大切に考えています。
大丈夫だよ、さくら。 大丈夫だよ、はる。

















はるにとっては、いちばん頼りで、いちばんダイスキで、
だれよりも一緒に過ごした時間が長く、本気で遊び、本気で喧嘩もして、
さくらにとっても、はるにとっても、心を出し合えた仲だったように
思います。最後は、さくらとうまくいかない日があったのですが、それでも、
さくらの隣がはるで、はるの隣がさくらで、私はよかったのだと思っています。
そう思ったのは、さくらが介護生活になり、生活状況も違ってきて、段ボールで仕切りをして、
ほとんど2柴は別々な生活をしている中での、この写真が物語っているように思います。
2柴は、求めあっていたんだって、通じあっていたんだって。 私は感じました。
今年の4月、5月頃の写真です。



さくらが旅立ったことを、病院で先生に確認してもらい、家に戻ってきた時も、
はるは、何度も何度も、さくらを確かめていました。
覚悟をしていたものの何の用意もしていなかったので、
病院へさくらを連れて行った時の中のまま、さくらの体の下に保冷剤をたくさん入れ、
息子に買ってきてもらった、お花を。

さくらは、動かないね。

目を開けては、くれないよね。

この時期は私のベッドの下で寝転んでいることが多かったのですが、
ずっとさくらのそばにいました。

友達のちょこまろさんもお花とさくらの好きなおやつを持って、会いに来てくれました。
はるは、確認中です。

さくらに、いつものドッグフードとお水。

さくらのドッグフードもお水は、はるが全部食べました。

夜中、眠れずに目が覚めたら、
はるは、さくらのそばで寝ていました。

朝になり、今日はお寺へ。 はるは、この場所で、さくらとお別れです。

大丈夫かな、はる。 言葉で説明できないことがもどかしく、
はる自身が、状況を見て感じるしかできなくて。

そして、新しい段ボールに、さくらに移動してもらいました。
はるは、ずっと、さくらのそばを離れなくて。 何度も確認して。
何度も、お話して。

もうそろそろ家を出発する時間。
はるちゃん、これで、さくらと最後だよ。
これが一緒に映した、さくらとはるの写真となりました。
いつかまた、虹の橋の向こうで再開するんだよ。 さく*はる

さくらが、この家から姿が見えなくなった次の日の朝。
はるは、さくらが眠っていたそばで寝ていました。

さくらが旅立って3日後。 柴犬はなのノンビリな日々のはなママさんからお花が届きました。
優しい色のお花が、心を癒してくれました。
そして息子の意見を尊重し、さくらのお骨は全部、お寺におさめました。
ただ、さくらが家を離れる少し前に、さくらに話し、さくらの毛をカットしました。
さくらの一部で、今も身近にさくらを感じられます。

生まれた時から人間の中で育ち、犬友もあまりいないで育った、さくら。
さくらが8歳の時に、はるが我が家の家族になりました。
子育ての経験もなく、きっとこんな小さな犬と接したことがなかった、さくら。
今考えると当時は、とっても困っていたと思います。
それでも今、振り返ってみると、さくらなりの優しく、心広く、時には厳しく、自由に、
なつっこいはるの性格を知った子育てをしてくれていたんだなって思います。
そして親子から、いつしか友達に、姉妹に、家族に。
とっても感謝します。 最後までさくらは、自分の位置をゆずらずでした。
しっかりと貴方のバトンは、はるに引き継がれています。
そして、そのバトンを持っている、はるのことを、私は今までと変わらずに、
私が貴方へ注いだように、貴方がはるに注いだうように大切に考えています。
大丈夫だよ、さくら。 大丈夫だよ、はる。

















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